自担について考えてみたら”悲しいほどにア・イ・ド・ル”だった。
私は、おそらく世に言うDD*1と言われるタイプで、しかも担当も掛け持ちしている。少クラを見れば大抵「誰それが可愛い」「かっこいい」を連呼して収拾つかなくなるのに、それでも「担当」と呼ぶ3人(三宅 健くん、丸山 隆平くん、中間 淳太くん)は自分の中で決まっている。では、その担当はどうやって決めたのか。これってふと考えるとすごく疑問。
おいおい!ジャニオタなんだから、顔が好きで選んでるんだろ?
と言われるかもしれない。
確かにそれも若干あるけど、それが100%ではない。
だって顔で選ぶんだったら、岡田くんなんて神様だし、大倉さんとか横山さんとかも美しいし、なんてったって藤井流星さん…!!!!流星の顔がかっこよすぎて直視できないし、ちゃっかりジャニショで生写真買っちゃうくらいに大好き!!!!
それでも!!
たとえどんなにアウトと言われようとも(主に健ちゃん)、どんなに変な動きしてても(主に丸山さん)、どんなに静止画が事故ってても(主に淳太くん)、どんなに知り合いのみんながみんなイケメンだねと言ってくれなくても(母に至っては「あんたはいつも微妙な顔が好きだね(失礼すぎる)」と言ってくる)、私の中で「担当」で「特別」なのは、健ちゃんだし、丸山さんだし、淳太くんなのだ!!
何故・・・?!?!
(淳太くんに関しては過去記事で少し書いてはいますが)。
※ここからは完全に私の妄想です。
それで、なんでこの3人が自担なんだろうと考えていたときに、”悲しいほどにア・イ・ド・ル”~ガラスの靴~*2という健ちゃんのソロ曲が頭をよぎって、「これだ…」と凄く腑に落ちてしまった自分がいたんですよ…!!
「虚像とリアル その狭間で俺 生きていく」
「気の利いたポーズ軽快なトーク誰でもつとまるわけじゃない
so I'm 筋金入りエンターテイナー そことことん極めるだけ」
「本当は君と 何ら変わらない普通の少年で男の子
恋の一つや二つ officialな関係 それさえも許されないの?
華やかなこの世界で 愛や夢と希望を振りまいて
演じている自分も決して嘘じゃない」
http://j-lyric.net/artist/a001a50/l01fcac.html
自分の語彙力がなくて、何がそう感じさせたのかを言葉にできないのが本当にもどかしいのだけれど、もちろんこの曲を完成させられるのは唯一、三宅健であるというのもあるのだけれど、それにしてもこの曲って丸ちゃんにも淳太くんにも通ずるところがあるかも…と思ってしまう。
もちろん、私は彼らの「本当」なんて何も知らないし、プライベートがどんな人間なのかなんてもってのほか知らない。アイドルを「演じている」かどうかもわからないし、ダークな部分なんてないのかもしれないし、私の勝手な投影なのかもしれない。でも、私の見ているメディアの世界での彼らからはそんな匂いがけっこうしてる。
「アイドルでいること」が好きで且つその自覚がなければ、いつまでも変わらない外見でいること*3や、体力の限りファンサしたり*4、ファンとペアルックしようとしたり*5することって出来ない気がしている。あとは、リアル(熱愛等も含めた私生活感)があまり見えないところも大きい。あえて匂わせていないのか、ほんとに何もないのかは置いといて…。そう思うと、自担って「アイドルでいること」にストイックな人々だな…と感じる。でも、たぶんそれを努力だけでやっているというよりは普通にできるポテンシャルも持ち合わせているのだと思う(それこそが天性の才能なのかもしれないけれど)。そして、そういうところを私はすごい!と思って「尊敬」したりする。
そう考えると、なんでこの3人が自分の担当なのかと言われれば、私には彼らがたぶんグループの中ですごく「アイドルでいること」にストイックに見えるし、ある意味プロ意識の高い人に見えているからだと思った(決して他のメンバーがストイックじゃないとかプロ意識がないとか言っている訳ではないので、あしからず)。つまり、尊敬とか羨望とかそういう気持ちも含まれているわけだ。なるほど。
愛や夢と希望を振りまきながら、どこまでも私の理想や幻想をうけとめてくれる、まさに自担は悲しいほどにアイドル。
まぁ何かぐだぐだ書いたけれど、しかも後半はただの痛い担当自慢おばさんでしかないけど……何を言おうと担当になった理由なんて結局全部が後付けだよね☆好きになるのに理由なんていらないよね!ということ。あと、”悲しいほどにア・イ・ド・ル”~ガラスの靴~は本当に名曲。