愛の標識

これが多分 運命だったんだよ

わたしの担当論について

担当論について語っていただけませんか。 - 気の向くままでええじゃないかnonvwest.hatenablog.com

 ※記事を引用せさせていただきました。不都合があればお教えください。

 

という記事を拝見しましたので、これに便乗して私の担当論について書いてみようと思う。

 

 ちなみに私の担当に関する思いは以前書いたこちらの記事にて。

machat8.hatenablog.jp

 

(ちなみに私は基本的には担当を中心にグループをまるっと応援するタイプです。それは、担当が楽しそうに笑ったり歌ったり踊ったりできるのはメンバーのおかげだからという感謝の気持ちも含まれています。只単にグループのわちゃわちゃ感や雰囲気が好きっていうのももちろんありですが。)

 

 

まず、簡潔に私の担当論を言うと、

そう、私にとって担当というのはなんだか非常に重い存在らしい。

 

 

始まりはもちろん顔が好き、雰囲気が好き、歌声が好き、とかそういうところなんだけど、そこから彼らのバックグラウンドや考えを知る、言葉や生き様、アイドルとしての振る舞い方を見て、人間性に惹かれたり、尊敬の念を抱いたり、羨望したりする。 

そこでこの人は興味深い、この先を応援したい、見届けたい、と思ったときに私はその人を初めて担当に選ぶのだと思う。これは私の恋愛観とも近いのかもしれない。

ただ、恋愛と違うのは、その対象を1人に絞る必要がないこと。

さらに自分に都合よく考えるならば、それぞれの担当は別の世界に住んでるので(例えば、エイト星、V6星、WEST星みたいな別の惑星とか)、淳太くんを好きだと思うとき、その世界に丸山さんや健ちゃんはいない。異なる次元でそれぞれの担当と恋をしている(こういうのを救いようがないksヲタと人は言います)。

 ※もちろん、本気愛とかではないのでご承知ください。

 

でも、だからと言って担当が増え続けていくということもない。というのも、アイドル人生の終わりまで見届けたいっていう気持ちでいると、熱量を注げる限界が少なからずあると感じるので…

 

私自身は今が限界だな、と思う。

時々、金銭的な面でも時間的な面でも追いきれなくなってツラいなと思うことはあるので。でも、今はまだ自担それぞれのこれからを見守りたい、応援したい、好きでいたいという気持ちに揺るぎはないので掛け持ち続けたいと思う。

担当じゃなくなるときは、きっと自担の性格が豹変したとか、アイドルとしての価値観が大幅に変わったとかそういうことなのかもしれないなぁ…。それもまるで恋人との別れみたいでなんか我ながら気持ち悪いな(笑)

 

 

私の担当論は以上ですが、結局、 担当って自分にとって特別だと思う人を区別するために使ってるにすぎないかも。

「担当=こういうもの」っていう定義も人それぞれ、私にとってはこう!って思うところでいいのかもしれないなぁ…なんて。それぞれの定義を見聞きするのもまた興味深いと思いました。

 

お粗末さまでした。